どうもみなさん、にわうちです。
今回は、12月24日に行われた全国高校駅伝大会に出場した、東洋大牛久こと東洋大附属牛久高等学校についてご紹介したいと思います。
実は筆者、何を隠そうここの卒業生でして、普通の人よりかは詳しいつもりでございます。
そこで、今回は卒業生としての立場から「東洋大牛久ってどんな学校?」ということと、ついでに東洋大牛久出身の有名人について語っていきたいと思います。
全国高校駅伝大会での東洋大牛久の活躍
東洋大牛久は1区にてエースの3年、宮崎優選手が28分53秒で区間3位の力走を見せます。
その後、順位として見ればあまり振るわない結果となりましたが、どの選手も力走を見せ総合結果は2時間8分4秒で22位。
4年ぶり2回目の都大路をタスキを繋ぎながら駆け抜けました。
東洋大牛久ってどんな学校?
立地
東洋大牛久の正式名称は東洋大学附属牛久高等学校。つまり東洋大学の附属校です。
学校は牛久駅からちょっと離れた徒歩30分くらいのところにあり、当時は筆者をはじめ多くの生徒が毎日駅からそれなりの距離を学校まで歩いていました。
交通アクセスの優れた都会の学校にずっと通われていた方からは「毎日そんな距離歩いて大変じゃなかった?」と聞かれたりしますが、当時は特に何とも思っていませんでした。慣れってすごいですね。
もしかすると、学校までのそんな道のりの遠さも、駅伝を走った選手達の足腰を鍛える要因になっていたのかもしれませんね。
あとちなみに学校前には広大な林が広がっており、夏は地獄めいた量の花粉が飛んでいた記憶があります。花粉症の方はマスクが手放せませんね。筆者もですが。
特色
あくまで筆者が在学していた当時のものになりますが、東洋大牛久は水戸一高や龍ケ崎一高の滑り止めとして人気の私立というイメージがありました。
筆者も龍ケ崎一高に受からなかったために東洋大牛久へ入学したクチなのですが、実は東洋大牛久の偏差値は年々上昇傾向にあり、今やその龍ケ崎一高とあまり遜色ないレベルになっています。
あと当時としても人によってはむしろ「東洋大牛久の方がいい」と言う生徒も決して少なくない数がいて、その理由を聞いたことがあるのですが、それはズバリ「制服がカワイイ」。
特に女子に多かったのですが男子からも一定数挙がった意見でして、今はわかりませんが当時の東洋大牛久の制服はコムサデモードというブランド制服だったのです。
たかが制服と思われるかもしれませんが、三年間ほぼ毎日着る制服のデザインが優れているのはかなりテンションが上がるものなんです。
当時の龍ケ崎一高は学ランだったので、両方受かっていたけど制服で東洋大牛久を選んだと言う女子もいましたね。
そして、私立かつ附属校ならではの潤沢な資金がもたらす施設や行事の充実も魅力の一つでした。
例を挙げると、筆者在学中にも古くなった旧校舎を取り壊して新校舎に建て替えてましたし、駅伝のインタビュー記事で目にした校庭も筆者在学時は普通に砂の地面でしたが、今は専用のトラックになっていました。
さらに11月3日の文化の日には全校生徒で芸術鑑賞ということで歌舞伎や劇団四季のミュージカル、宝塚に行ったりなど、そこらの学校ではおそらく真似できないレベルのスケールがでかいことをやったりしていました。
筆者はその中では劇団四季が一番感銘を受けましたね。最前席で空中を舞う役者さんを見て感激したことを今でもはっきりと覚えています。
東洋大牛久出身の有名人
名称(職業) | 経歴 |
---|---|
菊地恭一(元プロ野球選手) | 東洋大学附属牛久高等学校 |
金井元三(元プロ野球選手) | 東洋大学附属牛久高等学校 |
山本ゆうじ(DJ・タレント) | 東洋大学附属牛久高等学校 |
瀧澤修平(サッカー選手) | 東洋大学附属牛久高等学校 → 東洋大学 |
野口啓代(フリークライマー) | 東洋大学附属牛久高等学校 → 東洋大学ライフデザイン学部健康スポーツ学科 |
菊屋真紀(レスリング) | 東洋大学附属牛久高等学校卒業 |
青木和也(元ラグビー選手(三菱重工相模原ダイナボアーズ:トップリーグ)) | 東洋大学附属牛久高等学校 → 日本体育大学 |
青木祐樹(プロラグビー選手) | 東洋大学附属牛久高等学校 → 日本体育大学 |
まとめ
というわけで、今回は全国高校駅伝大会に出場した東洋大牛久についてご紹介しました。
卒業生でなければ出せない情報なんかもいくらか出せたと思いますが、いかがだったでしょうか?
東洋大も駅伝の強豪校として有名ではありますが、これをきっかけに東洋大牛久の方にも興味を持っていただけたら嬉しいですね。
それではまた!
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